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タブー視せず、現実を知ることで見える世界がある【日本の路地を旅する(著:上原善広)】

日本の路地を旅する (文春文庫)

「被部落部落」という言葉を聞いて、どんなイメージを浮かべるだろうか。

かつての日本の身分制度として「士農工商」を学習した記憶は残っていると思うが、さらに「穢多(えた)」や「非人(ひにん)」と呼ばれる人たちがいた。
「穢多」や「非人」と呼ばれる人々は、屠殺場(とさつじょう)や牢屋、刑殺者の埋葬等の職に就くことが多く、一般的にネガティブで汚いイメージの仕事に就いていることが多い。動物の皮をなめしたり、食肉加工をするなど職場の匂いも強烈であったことや、また一般庶民よりも下の階級と見られた人であることから、一箇所にまとまって住居を構えて(または隔離されて)集落を形成した。

その集落は部落と呼ばれ、明治時代には身分開放令によって階級差別は表向きには無くなったものの、その差別が現在もなお続いている。
大阪や中国地方、四国等は、現在でも多くの部落差別が残っているといい、小学校の道徳の時間で「被差別部落」を扱う授業が行われているというし、結婚となると身辺調査をして被差別部落者との結婚は認めないという価値観の人が多数存在するという。
被差別部落は現実問題であるにも関わらず一種のタブー扱いになっているため、実社会でも話題に上ることはほとんどない。メディアで取り上げられることも、まずないと言っていい。しかし、被差別部落問題には、理解不足からくる大きな偏見や差別が含まれており、日本人である僕たちは真実を知る責任があると僕は思う。

この書籍の著者である上原氏は、被差別部落の出身者であり、本書は上原氏が全国に実在する被差別部落を訪ねて書いたルポタージュとなっている。
(本書のタイトルである「路地」とは、「被差別部落」のことを指している)

僕は被差別部落問題には興味があるためいくつかの書籍を読んだことがあるが、多くの場合において著者の思いや思想が強く出すぎてしまい、事実や真実がストレートに伝わりにくかった。しかし、上原氏の文章は、事実を客観的に表現したスケッチになっているため非常に読みやすく、被差別部落の現状をしっかりと知ることができる。
また、全国の被差別部落を旅することで、著者自身のルーツを辿るというテーマもあり、著者自身の家族への思いや故郷への思いが伺いしれる。
被差別出身者であるからこそバイアスのない本が執筆できたと感じる良書で、非常に読み応えのある一冊だ。僕も、かなりお気に入りの一冊であり何度も読み返している。

部落差別は現在も存在するのだろうか

冒頭に記述したように、明治時代には身分開放令によって差別は解消の方向に向かった。
昔は、一歩部落に立ち入ると、住居の構えや匂い等からすぐに部落であると分かったらしいが、今では何も知らずに立ち入ると一般の住宅街と変わらず、実際の差別の少なくなっているらしい。
しかし、差別の問題が完全に解消したのかと言えば、やはり決してそうではないようだ。特に、事故や事件が起きると真っ先に疑いの目を向けられるのは被差別部落の住民だ。露骨に疑うことはしなくとも、警察や住民はまず部落住民を心の中で疑う。
前述したが、結婚しようとすると身辺調査が行われ周囲の反対によって結婚が破談になることもしばしば。部落地域は不動産の価格もかなり安い。
こうした現状を踏まえて、実際の部落住民のコメントが本書の記述されている。

この現代に被差別部落があるかといわれれば、もうないといえるだろう。それは土地ではなく、人の心の中に生きているからだ。しかし一旦、事件など非日常的なことが起こると、途端に被差別部落は復活する。被差別部落というものは、人々の心の中にくすぶっている爆弾のようなものだ

これは一部の部落住民の発言であり、地域によってはもっと露骨な差別意識が存在しているとみて間違いないだろう。
著者の上原氏は様々な方にインタビューをしているのだが、被差別部落出身であるが故に何でも話してくれる人もいれば、口を堅く閉ざす人がいるというのは、やはり話したくないからであろう。

また、とても興味深い歴史的なエピソードも紹介されている。
あの有名な吉田松陰の弟子である吉田稔麿という人物が、欧米に対抗するために被差別部落の人々から徴兵した「屠勇隊」という軍隊を構想したという。この「屠勇隊」に選ばれた兵隊は、功績に応じて「穢多」や「非人」から除いてやる、と考えられたようだ。
明治維新の功労者である吉田松陰や高杉晋作も、「穢多」や「非人」という身分制度に対する偏見は持っていなかったとされ、西洋文化を取り入れようとする新しい意識を垣間見ることができる。

被差別部落とは日本の原風景であり、日本の歴史のダイナミズムの中で形成された、まさに生きている現実であると実感する。

部落というタブーに、どう向き合えば良いのか

この本を読むことで、被差別部落に対する理解はずいぶんと進むが、差別そのものが存在することや、被差別部落問題をタブー視としている現実に対する気持ちは、依然として曇ったままだ。
しかし、被差別部落のような、いわゆる陰と陽で言えば「陰」の部分にこそ、物事の真実があると僕は思っている。だからこそ、こういった一種のタブーとされる現実問題について、しっかりと理解を進めていきたい。
むしろこれは、一種の責任感というか義務であるかのようだ。


最後に、非常に共感した文節を引用する。

生まれた環境は選べないのだから、それを嘆くよりも、これからどう生きていくのかが最も重要なことになるのではないだろうか。自らの不幸の原因を差別や貧困、障害、家庭事情に求めることもできるだろう。しかし自分がどのような知識を得るのか、そして誰に出会い、選択し決断していくのか。人それぞれに違うもので、そこに生い立ちが関係していたとしても、選択は自分にある。結果的にその選択や方針が良いことだったのか、悪いことだったのか、それを判断するには時間もかかるだろうし、結局は答えのでないことなのかもしれない。ただ、どのような地域や社会的階層の生まれであっても、その人の可能性を信じるしかないのではないか。

僕自身、他人や環境のせいにする人を好きになれない。
実際に被差別部落で生まれ育った訳ではないので、当人たちの苦しみは実際的に理解することは難しいのだが、それでもやはり本人自身が、本人自身の責任で選択し、判断し、結果の全てに責任を負うことが求められるはずだ。
そして、被差別部落に育っていない人たちも、差別やタブー視するのではなく「知る」べきだ。

日本の路地を旅する (文春文庫)

日本の路地を旅する (文春文庫)