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価値観を自分の外に置く人の考えは、誰にとっても価値がない

秋のベンチ

自分の意見を、相手にはっきりと伝えることができるだろうか。
相手の発言に違和感を覚えたら、自分から問いただすことはできるだろうか。

冒頭の質問に対して迷うことなく「YES」と答えることができない人は、社会的な価値が低いかもしれない。
今一度、自分自身の価値観について見直して欲しい。

自分の意見を伝えることができない人は、自信がない。
発言する相手が自分よりも先輩だったり、または親や上司だったりする場合は、「相手の方がよく知っている」「相手の方が絶対的に正しい」という先入観も重なり、その先入観がまるで事実であるかのように信じ込み、いよいよ自信がなくなって発言できなくなってしまう。

自信がないのは何故か。
相手の意見と「異なる」ということが、イコール「間違い」だと思い込んでしまい、自分の発言を否定されることが怖いからだ。だから、相手の意見と「異なる」ということが怖くてしょうがない。

怖いのは何故か。
それは、物事の価値観や判断基準を「自分の外」に置いているからだ。
自分がどう思うかは関係なく、「相手が合っていると思うものが合っている」「相手が違うと思うものが間違いである」という基準で判断する。
この基準に従う限り、発言の恐怖から逃れられることはできない。

では、どうすれば価値観や判断基準を「自分の中」に置けるのだろうか。
それは、相手と意見が相違することを積極的に歓迎して受け入れることだ。
そして「自分の外」に置いた価値観で判断した結果は、全くもって誰の役にも立たないことを認識すべきである。なぜなら、あなたが存在しなくても、価値観の元になっている発言主の意見だけ聞けば良いからだ。あなたの意見には価値がない。

「誰」の発言が正解か、ということは全く無視しなければならない。
誰が言ったかではなく「どの意見」が一番正しそうであるか、ということを徹底して考え抜くことが重要なのだ。

自分の意見が間違っているのであれば、修正すれば良いだけである。
相手の意見が間違っているのなら、自分の意見を伝えれば良い。
結果として、正しい意見を採用することが目的なのだから、誰が正解であるのかは全くもって関係ない。

これができない人は、いつまで経っても判断基準を他人に依存する。
そして、自分が選択する答えは「他人から嫌われない」「他人から仕事の出来ないと思われない」という、意味のないくだらない基準で選ぶことしかできない。
価値観が自分の外にある人は、自分が傷つかないようにすることしか考えておらず、誰にとっても価値がない。

「人と違う」ことは「間違い」ではない。
むしろ、違いを認識して議論するからこそ、価値のある意見が形成されていく。
それを繰り返すことで、傷つき、苦しい思いをするかもしれない。
しかし、それを繰り返した人だけが強くなり、価値を持つのだ。

考える技術・書く技術―問題解決力を伸ばすピラミッド原則

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